【訪問時期:2013年12月】
今回はイマーム広場と並ぶイラン最大の見所「ペルセポリス」を訪れたときの様子を。
ペルセポリスは紀元前にアケメネス朝ペルシャのダレイオス1世が造らせた都で、アレクサンドロス大王によって破壊されてしまうまで重要な儀式などを行う宗教的な都として栄えたそうです。
世界遺産にも登録されており、ヨルダンのぺトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡とあわせて中東の3Pと呼ばれたりもしています。
ペルセポリスがあるのはこんな場所。
チケットを買って遺跡内に入ります。遺跡は地面より高い場所にあるのが特徴的でした。階段を登って中へ。
登り終わるとまず目に入るのが、宮殿の正門であるクセルクセス門。
クセルクセス門は控えの間としての役割を持っていたそうです。なかなか威圧感のある控えの間ですね・・・。
クセルクセス門を通り抜けると、双頭鷲の像がみられます。この像を見るとなんとなくペルセポリスにきたって感じがします。個人的にかわいくて好き。
少し場所を移動して、百柱の間へ。別名王座の間。ペルセポリスでもっとも大きい空間で、その名の通り100本の柱がかつて立ち並んでいたそう。今は柱のほとんどが崩れていますが、もしこれが全部建っていたらとすごいですよね。
今度はアパダーナと呼ばれる、謁見の間にやってきました。
ダレイオス1世が造らせた宮殿で、属国からの使者との謁見や、祭事に使われていたそう。しかも、当時はここにレバノン杉の屋根があって、この柱がその屋根を支えていたそう。紀元前にそこまで巨大な施設を造ったなんてすごい・・・・。
アパダーナには北と東にそれぞれ階段があるのですが、東階段のレリーフはペルセポリスでもかなりの見所。階段脇の壁には、レリーフが彫られていてこれが圧巻でした。
このレリーフは王に贈物を運ぶ属国からの使者が、23の国ごとにそれぞれ特徴的に彫られています。
「バビロニア」からの使者
反対側の階段脇の壁にはメディアとペルシャの高官が交互に並ぶ様子のレリーフがあってこちらも圧巻でした。当時の使者の姿が国ごとに見ることができて非常に興味深かったです。
次は、タチャラというダレイオス1世の宮殿へ。崩壊も少なめで、わりとキレイなままです。
ペルセポリスではところどころで、ゾロアスター教のシンボルマークが見られます。
ゾロアスター教はかなり古い宗教ですけど、こうしてちゃんとそのシンボルが紀元前からある遺跡に彫られているというのが驚きです。ちゃんとその歴史が証明されているわけですね。
というわけでペルセポリス探索の様子をダイジェストで紹介しました。
ペルセポリスは破壊されてしまったためにかなり崩れているところも多いです。
しかしそれでも、あまりほかの遺跡では感じないようなパワーがあるというか、当時の栄光への想像を掻き立てるような風格がペルセポリスにはありました。
そしてここイランがイスラム教の国である以前にペルシャの国であるという、またひとつイランのアイデンティティに触れられることができたような気がします。